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結局、外国語も才能か? 遺伝子に恵まれなかった人の学習法

      2016/07/03


勉強が得意か不得意か、それは遺伝によるところが大きい。勉強のみならず、あらゆる面において大きな影響を及ぼしている。これはいやというほど数多く観察されてきた事実であって、もはや常識並で否定の余地はないように見える。

たとえば、つい先日もワシントン大学のPing C. Mamiya氏らが論文を発表していた

カテコールアミン分解酵素COMTに関わるCOMT遺伝子において、Met/Val型かVal/Val型を有する人は外国語に接すると脳内サーキットの接続が順調に増加し白質がすみやかに変化したが、Met/Met型の人はそのような変化は見られなかったというもので、この差が言語学習の結果に大きな差をもたらす原因であるとみられる。

ほかにも60パーセントの成績の差が遺伝子によって説明できるだの、そのような研究結果は探せばいくらでも出てくる。

それでは外国語学習を始めたにもかかわらず一向に上達しない人は、遺伝子的に劣っているとして諦めたほうがよいのだろうか?

僕自身、手前みそだがガールフレンドのためにロシア語を学び続けているため、そのような考え方には同意できない。

というのも、音楽やスポーツの能力に対する遺伝子の影響はあまりにも大きいが、言語能力や学習能力に対する遺伝子の影響力はそこまででもなさそうで、後者は成績という明快な観点からおよそ50パーセントから60パーセントの差が生じているという程度である。このくらいの差ならば努力によって充分に補える可能性が残されている。

やるべきことは、とどのつまり「継続」

毎日学習すること

個人的な経験から言わせてもらえば、これが全てだと思っている。

僕はこれまで手当たり次第に外国語学習、第二言語習得について文献をあさり続け、果ては脳科学、記憶力や集中力について、海馬の神経新生促進や神経保護インスリン能を改善するとよいとか、PDE-4阻害薬を投与すると記憶が改善されるとか、生理学、薬学のほうまで(都合のいい部分ばかりではあるが)手を伸ばして、色々と実践してきた。

言語学者の竹内理(たけうち おさむ)氏は、第二言語習得に成功したといわれる人々に共通する点を長い年月をかけて分析・抽出し、その著書にまとめているが、僕の意見を言わせてもらえば、その内容についても個別のルールを守りさえすれば成功するというものではなくて、結局はどれも継続することがまず大前提としてあるように見える。

もっとも、ターゲットの言語ごとに重視すべきところが違う

たとえば英語

厳密にはともかくとして、たとえば英語の場合はスラブ言語のように語尾の格変化がないので、文法理解(英語の場合は単語の並び順)と個々の単語をいかに多く覚えているか、いかに瞬間的に単語の意味を想起できるかが、控えめに言っても大きな影響力を持つだろう(ただし単語の暗記は具体的なモノをイメージできる名詞やいくつかの接続詞、感情的な激しい単語以外はおすすめできない。たとえば形容詞はそれ単体では記憶として残らない)。

発音や読みはスペルと一致しないので、初期の段階からフォニックスを学んで、数百回単位の注意深い音の聞き取りや、ネイティブに続けての読み上げ、発音を聞いての書き取り、あるいは自分の発音を録音してチェックするなどの訓練を、毎日徹底的に行うのが重要になってくるだろう。

たとえばロシア語

逆にロシア語などスラブ系の場合は、語順はそれほど重要ではないにしても、辞書などで単語だけを覚えても語尾変化のルールを守っていなければ意味が通じないので、どのような語尾がどのようなシーンでどのような意味合いで使われているか、それを感覚として刻みこむために、短文や長文(意味を完全に理解しているもの)を大量に暗記すると、実運用において大きな効果を発揮するであろう。

発音は日本人からすれば英語よりも容易であって、曖昧な母音を使うことも多いので、きちんと発音することが重要である英語と違い、徹底的というほど執着して訓練をこなさなくとも問題ないであろう。

ただし音の高低の扱いが我々の感覚と違うので、母語話者の発音を忠実に真似て再現できるようになるまで音を記憶して発音する訓練は、初期の段階で重要だろうと思う。聞き取り、読み上げ、書き取りなどの訓練も英語に準ずるが、比重的には大量の文章を脳にストックすることのほうが大切だろう。

あげくのはてにはラテン語

また、遥か昔に母語話者が消滅している、時代や地域によって発音が次々に変化していったラテン語のような言語の場合、正しい発音にこだわるのは時間と認知資源の無駄になるであろうし、実際ある研究では、音読をさせず、音も覚えさせず、ただ文章と意味と文法を徹底的に覚えさせ、意味理解や書き取りの訓練を積み上げたところ、もちろん読み上げや聞き取りはよくなかったが、それ以外の書き取りや文章理解では良好な結果が得られたということがある。

これは現代の日本人の、特に受験を目的とした英語の学習とその扱い方によく似ている。だから自信満々でオーストラリアへいったもののまるで英語が通じず、自信を喪失して帰ってくるような残念なことになるのである。

そして跋扈する音読伝説

ところで、音読については色々と意見のわかれるところだが、まだ初級の段階外国語の文章を記憶しようというときに音読してしまうと、認知資源が発音まわり にばかり奪われてしまい、文章の理解が伴わず、なかなか記憶できないということがある。

ただし、発音を自動化に近づけるためにあえて負担の大きい音読を徹底して、脳の変化の速度を最大限に高めることを期待するという考え方もある。

逆に母国語の場合は発音はすでに完全に自動化されており、脳の処理 の負担が極めて小さいので、発音ではなく文章の理解に充分に認知資源をまわすことができ、このため記憶しやすくなる可能性がある。

ただし、どちらも黙読のほうが記憶効率がよかったという論文もある。そして、どちらもそれほど大きな差は見られない。

好きなほうを選べばいいと思う。ちなみに僕は音読する(`・ω・´)

血の滲むような努力、自らを奮い立たせよ!

つらつら書いてきたけれども、さいぜん記述したとおり、これらは全て継続することが前提となるだろう。

もちろん僕も仕事や趣味で忙しかったり疲れていたりで毎日はできていないから偉そうなことは言えないが、しかし継続ができるのならば、仮に遺伝子的に劣等の、才能のない人であっても(恐らく僕もそうだ)、かなりの水準まで到達できるであろうという確信はすでに持っている。

三ヶ月でぺらぺらに、一ヶ月でネイティブと自由自在に会話、そんなことはありえない。

海馬から連合野皮質への記憶の書き込みは、人間である以上、誰でも数ヶ月はかかる。

この点のみをもってしても、巷にはびこる外国語学習の魔法はほとんど全て幻想である。

これまでさんざん言われ続けてきた、

  • 発音
  • 聞き取り
  • シャドーイング
  • ディクテーション
  • 自分なりの作文をしてネイティブに修正してもらう
  • そしてそれを暗記する
  • 例文の暗記
  • 単語の暗記
  • 覚えたことを実際に人に向かって話す

などなど、これら場合によっては苦痛にすら感じる訓練を地道に続けられた者だけが、外国語の扱いに長け人生の楽しみが一気に広がり、そしてこの重税の島国から脱出する権利が得られる(?)。

ストイックにやっていきましょう。僕もがんばります。

それでは失礼いたします。

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